宮城県女川町へむかっています。一泊二日で被災地の雇用や経済復興につながる支援の調査が目的。少数精鋭のチームですが民主党県連本部のサポートあり、政府への政策提言も考えています。
東京駅より新幹線に乗りました。これより宮城県女川町、石巻市にむかい経済復興のための調査をしてきます。近藤は、女川町入り2度目。午前中は、NPOオンザロードと合流し情報収集。
仙台駅到着。小雨パラついています。これよりレンタカーで石巻へ 。
まず目指すのは女川町役場。復興担当局から聞きとりです。
三陸自動車道利府インター近くで虹が出迎えてくれた!今週二度目の被災地入り。微力をつくします。
女川町に入りました。最初に来たのが4月11日、まちの瓦礫はなくなりましたが地盤沈下による冠水が酷い。そして人がいない。。
女川町で復興の狼煙をあげるコンテナ村で昼飯。
女川町といえばサンマ!コンテナ村のかぐらにて。店のママからは 今年は食べられないと思ってたと。。漁港冷凍施設などが壊れ水揚げ制限があります。
女川町仮設庁舎にてNPO オンザロード魚谷隊長と合流。
NPOオンザロード、無給で頑張る支援する人間が減っている。私に出来る事は限られている、だからこそ私は頑張っている人を支援する。
高台にある病院から全景を見る。ガレキはなくなったが冠水がひどい。写真のグリーンの建物は流されてきた。
本州サンマ水揚げ一位の女川では、やはり水産業支援を求められましたが冠水ひどく施設が壊滅。政府の速やかな対応を帰ったら求めます!
女川町観光協会と商工会の方々と意見交換をし初日の調査は終了。「高政」の部長の意見が心に響いた。「俺は女川で死ぬ」まちの八割が無くなっても奮闘する経営者がいる。他方、失業手当てがあるから仕事もせずパチンコばかりする人間もいる。時給1050円の求職に人が来ない。それでも俺はやる!と「高政」高橋部長。俺も出来る事をやる。
女川居酒屋復旧第一番「時代屋」にて。町の八割が流された。故郷に何も無くなったと言わせたくなかったから18億で蒲鉾屋を復活させた社長の話はどこまでもアツイ。しかし街頭が少なく真っ暗だ。
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宮城県女川町、NPO オンザロードが廃墟と化した水産加工場を「元気村」と題した屋台村にしようとしている。敷地は700坪、来春から段階的オープンを目指している。
石巻の水産加工地帯。ギネス登録された「木の屋」の缶詰が転がったままだ。被害の大きさを痛感する。
石巻市市街にあるガレキの山。まだまだ野積みされたたままのガレキが沢山ある。
石巻観光協会にて意見交換。写真は11月より販売の地場産品詰合せBOX 「縁」石巻市女川町東松島市の水産物詰合せで復興支援につながります。2~3千円。観光協会022-593-6448
石巻市商店街、ガレキは無くなったが店の復旧はまだこれからだ。
仙台駅より新幹線で東京にむかっています。被災地支援のための石巻市女川町の調査は終了。復興には程遠く復旧に奮闘する現場を目の当たりにしました。
東京駅到着。これより逗子葉山へ。被災地では現地の方々から貴重な話を聞けました。様々な方に引き合わせてくれたNPO オンザロード魚谷隊長には改めてお礼を申し上げます。