13日、田中(金沢区)岩本(茅ヶ崎市)塩坂(港南区)の3人の民主党県議から離団届けが提出されたため、本日急遽団会議が召集された。
田中氏は団長であったため、筆頭副団長の高谷氏が5月の役員改選まで団長に就任し、議事を進行。
離団の理由は、鳩山首相と小沢幹事長に出した「申し入れ書」をめぐり、民主県議団に迷惑をかけるからとの事である。
なんと言うべきか、みずくさい、いや我々の団は、言論を封殺するような事はしない、団員として言いたい事をバンバン言ってかまわないのである。
政治と金、普天間の迷走などと国政を憂う声は、より住民と近い我々地方議員のほうが知っている。
今回3人の出した「申し入れ」は、我々地方議員の心の叫びとも言える。
内容に賛同出来ないものもあるが、地方から国政に物言うのは大いに賛同する。県議団として国政に申し入れ書を提出すべきという意見もあったが、今回3人の提出した申し入れ書は語気が強すぎた。
13日の団会議では、離団の理由にはならないとし、離団届を受理はしなかった。
しかし近藤にはわかる、その後彼らは離団・離党するであろう、その覚悟が出来ている。
近藤が、政治の世界に入ったのは98年の逗子市議選であるから早12年の月日が経とうとしている。6回の選挙を行ってきたが、9年間5回の選挙は無所属で勝ち抜いてきた。
現在の民主党推薦は、07年の県議選が初めてであり、2代政党による善政競争がこの国を変えると信じ政党推薦をもらった。
しかし現在の2代政党政治は、近藤の夢見ていた2代政党政治ではない!
政策転換が出来ていないのである。
先のイギリスの選挙が示すように2代政党政治ではないのか。。。
近藤が政党推薦を得るにいたったのは、現「みんなの党」政調会長である浅尾慶一郎衆議員議員が大いに関係している。10年以上近藤のいる4区で共に活動をつづけてきた仲間であり、当時民主党神奈川県連の代表を務めていたのが浅尾衆議員議員であった。
彼の説得でなければ、近藤は政党推薦をもらわなかったかもしれない。
複雑なめぐり合わせはまだある、近藤の所属する現民主党神奈川4区支部長である長島衆議員議員とは03年に逗子市長選挙で共に候補者として戦った事がある。
それぞれ様々な思いがあるが、住民福祉が滞る事がないよう活動したい。
参議院選挙が近づき、政党の政策がそろい始める。
善政競争を信じ、しっかりと政策を見極めたい。