人となり

人となりProfile

近藤大輔は逗子市・葉山町より選出された、
たった一人の神奈川県議会議員です。 現在4期目。
Think globally act locally.
逗子・葉山から県政改革続行中!

あらゆるもの全てを結びつける力、それは『愛』。
この愛の力を守り育む事が、
近藤だいすけの政治原点です。

LOVE,PEACE&NATURE

近藤だいすけ

神奈川県議会議員52歳

1969年
12月生まれ
1974年
サウジアラビア王国・ジェッダ日本人学校入学
1976年
私立沼間小学校転入
1977年
再びサウジアラビアへ・・・中学1年まで海外生活、砂漠での生活経験を通じ、緑の大切さを実感
1985年
市立逗子中学校卒業
1988年
県立追浜高校卒業 環境ボランティア「クリーンピース」を発足・・・逗子の環境問題に取り組む ナホトカ号重油回収ボランティアに参加 FMラジオのパーソナリティーをつとめる
1997年
葉山・一色海岸にて廃材品を利用した 完全リサイクル型・海の「BLUEMOON」を発足
1998年
東南アジアのタイへ・・・AIDSボランティア活動に参加
1998年
逗子市議会議員初当選
2001年
環境ボランティアHUG(ハグ)を発足 ・・・三浦半島の環境問題に取り組む
2002年
逗子市長選に挑戦するも落選
2003年
逗子市議会議員再当選
2007年
神奈川県議会議員初当選
2013年
環境農政常任委員会 委員長就任
2014年
建設常任委員会 委員長就任
2019年
神奈川県議会議員再選、現在4期目


PROLOGUE

僕が一番大切にしているもの、それは「愛する心」です。人は一人では生きていけません。 生きていくには助け合っていかねばならず、そのために、共に手を取り合い、思いやりをかけあうこと。それが『愛』だと思います。この愛の力によって、あらゆるものは結びつき調和しています。家族、仲間、住んでいる街、仕事、海、山、川、地球、太陽、大宇宙・・・これら全てが結びつき、今ここに自分が存在しています。この結びつきをより良いものにしていくことが最大の使命であり、近藤だいすけにとっての政治であります。 政治を古来、大和言葉では「ま・つ・り」と言いました。間(ま)をつなぐ理(ことわり)という意味です。つまり「ま・つ・り」とはあらゆる関係性を調和へと導く方法のことで、僕は、誇りを持って、この「ま・つ・り」に取り組んでいきます。自分の愛する街、逗子・葉山と湘南の美しい海・山、そして神奈川県を「ま・つ・り」していきます。より多くの人と共に協力しあい「ま・つ・り」を実現することが最大の喜びです。僕が今まで何を考え、何をしてきたのか、それをまとめたのが、このページに書かれていることです。 ビンとくるものがあったら、ぜひ、僕と一緒「ま・つ・り=祭」に参加してみませんか!

あなたにとって、自由とはどういう意味ですか?

「自分とはいったい何なのか?自分は何をすべきなのか?」という問が、絶えず僕の人生の根底にあり、それは今でも続いています。特に10代前半は、あえて摩擦を作り出しては、その摩擦の中で答えを模索し、又、何かしらの意味を見出そうとしてきたように思います。 大学の推薦入学を蹴って、目指した世界はミュージシャンの道でした。その頃感じていた世の中の矛盾を「ぶち壊す」ため、全てを音楽に託し突き進んでいった日々…。そんなある日、事故で腕と背骨を折り、半年闘病生活を送りました。その事故を境に今までに起きた出来事…友達の死、別れ…を病床で繰り返し思い起こしては、生きるということ、悲しみ、焦燥、自分の限界など、自分の内面と深く向き合いました。動き続けてきた自分がただじっと自分に向き合った半年間が、今こうして自分が存在する原点となりました。

当時の僕らにとって、『自由』が全てでした。周りにある社会の環境はただジャマな存在として目に映り、自由を束縛するものだと思っていました。ルールとは破るためのものでしかなかったのです。けれども、無茶な行動を通じて自分の心と体にさんざんムチした後に、実は自分という存在は多くのものに支えられ、生きていることに気づいたのです。それは家族や仲間との友情であり、逗子や葉山の海や森の癒しでした。温かい人間関係と大いなる自然が、自分に命を与えてくれていたことをやっと理解したのです。「人間は一人では生きていけない」そんな当たり前のことを、実感するのに、10年以上もの歳月をかけたことになります。その時から、僕にとって『自由』とは、「個人が自立して自由にふるまいつつ、他人や社会や自然と豊かな交流を持つこと」という意味になったのです。 この豊かな交流に必要なものこそ、『愛』に他なりません。 「自分はいったい何をすべきか?」…それは、「人や社会や自然と、愛を持って豊かな交流を作り出すこと」。 ずっと僕が問い続けてきたことに、やっと一つの答えが見えてきたのです。 いつしか、僕の人生は自由を求める旅から、愛を生み出す旅へと変わっていきました。

MY RULE: 人や社会や自然と、愛を持って豊かな交流を作り出すこと。

自分のルールを持っていますか?

始まりは1997年の春でした。何もない浜辺に集まった7人のメンバー。 「誰もが、自然を肌で感じ、自然に対する自覚が生まれるような場にしよう」それが海の家BLUE MOONでした。

モノもなければ、金もない。そんな僕らにあったのは、「絶対に実現させよう!」という強い思いでした。その思いは、仲間が仲間を呼び、小さなアイディアだった種が、数カ月後にはしっかりと実を結びました。粗大ごみ、漂流物、各自が持ち寄る不要物、潰れたホテルの食器や椅子…様々なリサイクル資材を利用して、BLUE MOONは建てられました。何もないところからスタートしたBLUE MOONですが、そこには、まさに全てがありました。喜び、怒り、楽しさ、苦しみ、悲しみ、面白さ…一見、華やかで楽しそうなBLUE MOONの裏側では、本気のぶつかりあいがありました。それを通じて実感したことは、「ひとつの目的に向かって、大勢の人間が関わっていくためには、ルールが必要なのだ」ということです。「どうすればいいのだろうか?」一方的に決められたルールに対する反発心は、自分が一番よくわかっていましたから、徹底的に仲間に意見を投げかけ、言葉を交わし合いました。一番強く心に刻まれたことは、対話することの大切さと、決められたルールを守ることの重要性でした。その頃から、『ルール』という言葉のイメージは、過去に抱いていた「他者から一方的に与えられて、自分を束縛するもの」という意味から、「お互いが気持ち良く過ごすために必要な約束事」という意味へと大きく変わっていきました。 BLUE MOONは、人間が生きていく上で大切な基本事項を改めて実感する、貴重な空間だったのです。 AIDS問題、熱帯雨林保全活動、地雷撲滅運動、フェアトレード等の、啓発活動を行ったり、今、自分たちに何が出来るのか…「Think Globally,Act Locally」という事を考える場所でもあります。荒廃のすすむ植林地から切り出した間伐材と、竹害のすすむ里山から切り出した竹を使って、BLUE MOONは作られます。使用電力は、ソーラーエネルギーと風力発電で補い、生ごみの堆肥化を進める等、環境問題に配慮しています。食材は、食べる人にも、農家の人にも、環境にも優しい有機無農薬(オーガニック)を使い、地産地消という経済問題も考慮して、葉山産・神奈川県産にこだわっています。 いつまでも、青い海と豊かな緑を肌で感じることが出来る自然を残し、守っていくことが最大の願いです。

MY RULE:決めたルールは守ること。

あなたの今のテーマは何ですか?

1998年3月、地元逗子市の市議会議員選挙に立候補しました。そのキッカケを与えてくれたのも、BLUE MOONでした。BLUE MOONを始めるにあたり、公共の場所である海岸を使っていくため、仲間内でのルールとは別に、県や町で決められたルールに従わなければなりませんでした。例えば、駐車場の問題、騒音の問題、食品衛生の問題、ゴミの処理の問題…といった様々な事柄のひとつひとつに、ルールは存在します。こうしてBLUE MOONは新たに取り組まなければならないテーマを、僕に与えてくれました。それは『法律』というテーマでした。「様々な個性を持った人間が、気持ち良く交流するためにはルールが必要」ということはわかっていましたが、それが社会では、『法律』によって全ての基準が決められているという現実に直面したのです。もちろん、当然のことではあったのですが、日常の生活ではなかなか実感できなかったのも事実でした。 自分の成すべきことである「人や社会や自然との間に、愛を持って豊かな交流を作りだす」ためには、『法律』をつくり、『法律』を運用する世界に、足場を築かなくてはいけないと確信しました。こうして、僕が政治というものを本当に意識したのは、BLUE MOONを始めた、27歳の夏だったのです。 BLUE MOONの初めての夏が終わり、後片付けを済ませ、タイでAIDSボランティアに参加している間にも時は過ぎ、気がついたら、もう年は明けていました。選挙まであと3ヶ月弱、選挙の経験もお金もありませんでしたが、多くの仲間に支えられました。友人に原稿を校正してもらい、その原稿を仲間の勤め先でコピーし、それを一枚一枚手作業で折りたたみ、翌日に配って回るという作業を繰り返しました。選挙期間中は、もともと策など立てる余裕もなかったので、ただ正直な気持ちを素直にぶつけようと思い、短い時間の中で少しでも多くの人と直に接することができるように、自転車で選挙活動をすることにしました。自転車に旗を立て、とにかく市内を走り回りました。事務所は実家の居間。友人から権利を借りた電話番号。タスキに入れる名前も仲間の手書きによるものです。 朝夕は駅前に立ち、昼は一日中自転車で走り回っているうちに、投票日を迎えました。仲間と家族に支えられてのドタバタ選挙、何票とれるかは最後まで分からず、夢中で動いていたので周りの反応がどうであったかを確かめる余裕すらありませんでした。結果は1023票を獲得し、第7位での当選となりました。そんな中での当選でしたので、本当に嬉しかった事と、大きな責任に潰されそうな自分がいた事を、今でも覚えています。 自分を信じ、勇気を出して、最初の一歩を踏み出すことがいかに大切であるか。物事を成し得るために自分一人の力ではなく、多くの人の協力がどれほど必要であったか。選挙を通して、改めていろいろなことを学びました。とにかく、こうして、議員としての近藤だいすけの第一歩は始まりました。

MY RULE:自分を信じ、勇気を出して、最初の一歩を踏み出すこと。

いつも自然に感謝していますか?

96年に発足した「クリーンピース」を経て2001年、環境ボランティア『HUG』がスタートしました。Human United for Greenの略で、「HUGー抱きしめる」という意味もあり、自然とのふれあいをテーマにした、様々な活動を行っている団体です。川や海のゴミ拾いから始まり、田んぼ作りに、ボートで川くだり、炭焼きや、砂質改良の一貫として砂像を作ったりもしています。 一見すると、街の美化・緑化・活性化運動に思われがちですが、『HUG』の真の目的は、ともかく「自然にふれる」ことにあります。

人間は自然と言葉を交わすことはできませんが、自然を感じることはできます。例えば、川のゴミ拾いでは、効率的にゴミを収集することよりも、「いかに楽しみながら多くの人に参加してもらうか」という事に力を注ぎます。思ったより冷たくない川の水にふれてみれば、見慣れた川も違って見えてくるでしょう。我々はこの肌で自然と自分との繋がりを実感することを大切にしていきます。環境問題とは、人間問題であり自分たちの生活を見直すという観点で取り組むべきなのです。自然と人を「ま・つ・り」する場所、それが『HUG』です。興味のある方は、ぜひご連絡下さい。一緒に、まつり(祭)しましょう!

MY RULE:自然という存在を肌で感じること。

最近、熱く語ったことはありますか?

1998年ー2001年、選挙にのぞみ、当選したことで、4年という期間、「人や社会や自然との間に、愛を持って豊かな交流を作り出すこと」を信念として、議員という立場で仕事をするチャンスをいただいきました。『自然との交流』…「開発指導要網」と「良好な都市環境をつくる条例」という2つのルールがすでに施行されているにもかかわらず、その運用のされ方は、非常に甘いものでした。地域におけるこの条例の取り組みがきちんと成されているかどうかを厳しく監督・追求しました。他にもゴミの問題やISO取得の問題など、自然環境に関する問題はすべて積極的に取り組み、議会の中では「環境の近藤」と呼ばれるようになりました。こうした活動の中で政治的に物事を進めるということは、単なる賛成・反対ではなく、利害が対立する立場の状況を深く見極め、現実的な案を提示してこそ、問題解決の本質があるということを学びました。自然環境と人間の生活、2つとも大切なものです。そのバランスの舵取りこそが「ま・つ・り」なのだと思います。 『社会との交流』…議員になることで様々な会合に出席できる機会をいただきました。まちづくり研究会、ごみ連、地蔵山対策協議会、東逗子まちづくり協議会など、まだまだ他にもたくさんあります。こうした会合は、議会とは違って直接市民の方々と言葉を交わすことのできる貴重な場でした。そこでは、自分たちの街をよりよいものにしていこうと真剣に考える方々がたくさんいらして、多くのことを語り合いました。この経験を通じて、街というものが発展していく背景には、市民の熱い言葉の交わし合いがあり、その言葉からテーマや方向性が与えられ新しい動きが生まれるということを実感しました。街も人の集合体なのです。だからこそ、僕は「街づくりは人づくり」なんだと思っています。 『人との交流』を通じ、熱い言葉を生み出していくことが、街の発展に繋がっていくのです。 これからも、たくさんの会合に参加し、多くの言葉に触れ、その言葉の輪が大きく広がっていくように努めていきたいと思います。疾風怒濤のように過ぎた4年間でしたが、これからも愛する地元逗子市のために、頑張っていきます。

MY RULE:街づくりとは、人づくりであること。

あなたの幸せはどんなカタチをしていますか?

1998年、夏。僕は17歳の頃から10年以上の縁を持つ真理と結婚を決めました。思えば、つきあっていない時も、同じ国にいない時も、常にお互いの存在を心の隅で意識し、見守ってきました。

「お互いがお互いを補い合える」「家族を持ち、子どもを育てるなら、この人じゃないと…」ふたりが時を同じくしてそう思った時が、結婚を決めた瞬間でした。「結婚」は真理との関係に大きな変化をもたらしました。それまでは、それぞれが自分の位置に立ち、その位置からお互いに向き合って関係を築いていましたが、結婚をすることにより二人は同じ位置に立ち、共に手を携え、同じ方向を向いて人生を歩んでいく関係となりました。そのために会話も、自分を語るのではなく、二人のあるべき姿を語り合うようになりました。僕は、真理のことを自分のこととして考え、真理は僕のことを自分のこととして考えてくれます。その積み重ねの中で、男と女の関係を超えた、真の信頼関係が生まれてきました。これからも、真理との間に、より深いパートナーシップを築きながら、いつまでも幸せは家族でありたいと思います。

1999年、春。息子・湧音(ゆうと)が生まれました。息子の存在は、自分の中で何度も反芻してきた『男としてどうあるべきか』という問に加え、新たに『父としてどうあるべきか』という問いを、自分にもたらしてくれました。それは、「今」だけでなく、「未来」に対しても責任を持つ、という視点です。「息子が大きくなった時の、世の中のことも考え、守るべきものを守り、創るべきものを創る」。父親となって、街の見え方も随分変わってきました。『次の世代に素晴らしい街を引き継ぐ責任が我々にある」という実感を、湧音は僕に与えてくれたようです。

MY RULE:今だけでなく、未来に対しても責任を持つこと

EPILOGUE

21世紀は戦争で幕をあけました。世界はまるで自分の信念とは逆光しているかのようです。けれども僕は決してあきらめません。まずは出来るところから一歩一歩、愛する心を持って「ま・つ・り」していきます。家族を愛し、仲間を愛し、住んでいる街を愛し、この湘南の海と山を愛します。そして時間とともに必ず、日本、世界へと、そのエネルギーをおおきなものにしていきます。 僕は幼少をサウジアラビアで過ごしました。肌の色や文化は違いますが、同じ人間であり、多くのモノを分かち合えることが記憶の中に刻まれています。また、言葉を交わすことはできませんが、僕らをいつも大きな愛で包み込んでくれている大自然、つまり母なる地球を大切にしていきたいと思います。世界や地球と比べると、自分の存在はとても小さなものに感じます。しかし、僕らの生活は、そうした大きな存在と密接に結びついているのです。自分の身の回りの行動に愛と責任を持つことが、そうした大きな存在に感謝することに繋がるはずです。難しいことではありません。 身近な家族や仲間、地元の自然を愛することは、青い地球を愛することと同じです。心の中に青い地球を描きながら、まずは、目の前の一歩を、一緒に歩んでいきませんか。世界の平和と、この青い地球、そして自分自身のために…。

近藤だいすけ

愛と平和と自然のために LOVE,PEACE&NATURE